プロレスの本棚

40年間、ため込んできたプロレスの本棚の備忘録です。

ジ・アッチィー(大分プロレス)中年よ大志を抱け~夢のリング、アメリカへ~鑑賞記

皆さんは、大分プロレスのジ・アッチィーという選手をご存知でしょうか?

 

恥ずかしながら、同じ九州でありながら、私は知りませんでした(^_^.)

 

先日、テレビの自動録画で(プロレスを登録してある)、「中年よ大志を抱け~夢のリング~アメリカへ~」という番組が録画されていました。

 

「何だろ?これ」と思い見てみたのですが、内容がとても良かったのでご紹介したいと思います。

 

 

【目次】

 

【ジ・アッチィーが、プロレスで唯一、やり残した忘れ物】

 

舞台は、大分県別府市の「カレー酒場 ROUTE10」

 

この店のオーナーは、大分プロレスの元プロレスラー「ジ・アッチィー」です。

 

大分プロレスは、2017年の7月に解散興行を行い、そのリンクでジ・アッチーは、かつての憧れの存在だった元UWF藤原喜明船木誠勝を相手に引退試合を行っています。

 

その引退から2年を経たいま、やり残した夢があるそうです。

 

それは、プロレスの本場であるアメリカのリングで試合を行うこと。

 

それだけが、やっていなかった、唯一の忘れ物。

 

その未練があるせいか、現役だった頃の写真は、店の奥、人目に付かない所にそっと飾られていました。

 

やはり、完全にやり切っていないという気持ちから、自信を持って飾れないというところもあるのでしょうね。

 

 

【ジ・アッチィー、やり残した夢に向かって動き出す】

 

「自分が納得していないなら、やるしかない」と、そのやり残した夢に向かって、ジ・アッチィーはトレーニングを再開します。

 

引退の原因にもなった腰は、骨が変形しているそうです。

 

同時に、アメリカで活動しているレスラー仲間に連絡を取り、上がれるリングを探します。

 

そして、ついにラスベガスのローカル団体への出場が決まります!

 

出発前には、かつての大分プロレスのメンバーが壮行会を開いてくれ、「もう一回だけ、やらしてくれ」と決意を表明します。

 

お店の扉には、「心の奥底に眠っていた夢に挑戦するため、武者修行で休業」するとの貼り紙をし、いよいよアメリカへ。

 

 

アメリカで待っていた菊タロー

 

アメリカ、ロサンゼルスで待っていたのは、菊タローという選手です。

 

何か、このマスクは見た事があるようなないような(^_^.)

 

この菊タロー選手も、「このまま年を取ったら、何であの時に行かなかったのだろう」と後悔したくないと、40才になった時にカバン4つとリュックを背負ってアメリカに来たそうです。

 

言ってみれば、ジ・アッチィーの思いと同じですよね。

 

だから、力になりたいと思ったのでしょうね。

 

「やって良かった」「今が一番楽しい」と菊タロー選手。

 

 

【夢のリングは、FSW

 

ジ・アッチィーの復帰戦の舞台は、FSWという団体です。

 

復帰戦に向けて、FSWのリングで受け身の練習をしますが、ここでハプニング。

 

激しい受け身の練習の最中に、古傷の腰を痛めてしまいます。

 

動けない者は、リングに上がれないのがプロのリング。

 

菊タロー選手からも「金を取っているリングだから」と「見に来ているお客さんには事情は関係ない」と厳しくも、プロとしては当たり前の一言。

 

 

【そして、ジ・アッチィー、夢のリングへ】


最初の試合は欠場したみたいですが、いよいよ復帰戦の舞台です。

 

対戦相手は、ロビー・リットという若手選手。

 

ジ・アッチィーのコスチュームを初めて見ましたが、FMWの故ハヤブサ選手に似ていますね。

 

このリングで、ジ・アッチィーは、初めてブーイングを浴びます。

 

試合展開は、さすがベテランですよね。

 

以外だったのが、ライガーボムでアッチィーが勝ってしまったこと(@_@)

 

復帰戦のリングとはいえ、かませ犬的な役割だと思っていたら、勝っちゃった!

 

そして、試合後に英語で「私の夢はアメリカのリングで試合をする事でした」「そして、今日夢が叶いました!Thank you USA」とスピーチ。

 

試合後は「終わったー」と叫んでいましたね。

 

「あんなに激しくて、素晴らしい事をやってきたんだなぁ」と引退後もくすぶっていた気持ちに、ようやくけりが付いたようです。

 

そして、店の奥に飾られていた写真は、人目に付くところに置き換えられる事になりました。

 

 

【中年よ大志を抱け~夢のリング、アメリカへ~まとめ】

 

今回は、「中年よ大志を抱け~夢のリング、アメリカへ~」鑑賞記を書いてみましたが、いかがだったでしょうか? 

 

実は、私のほうが少しだけ年上なんですが、ジ・アッチィー選手とは、ほぼ同世代なんですよね。

 

私の場合は、伝統武術のほうに流れていきましたが、UWFに憧れて、格闘技を始めたのも同じです。

 

私達くらいの世代になると、もう10年後、20年後の自分も明らかに見えてきて、だからと言って、何かを新しくやる体力も気力も衰えてきて、結局はそのままという事も多いと思います。

 

同世代として、勇気をもらいましたね。

 

ジ・アッチィー選手は、行動力があって、かつ謙虚だし、どの世界でも成功できるような方だなと思いました。

 

でも、どうですかね?またリングに上がりたくなるのでは(^_^.)

 

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女子プロレス絢爛(けんらん)の90年代。書評レビュー

 

1990年代に行われた女子プロレスの団体対抗戦。

 

対抗戦と言えば、いまだに語り継がれるのは「北斗昌vs神取忍」ですが、他にも名勝負はたくさんありました。

 

表紙に魅かれて、「女子プロレス絢爛の90年代」を読んでみました。

 

 

【目次】

 

【巻頭ロングインタビュー アジャ・コング

アジャコングと言えば、どうしてもブル中野との抗争が目に焼き付いていて、対抗戦のイメージはないのですが、当時はどのような心境だったのでしょうね。

 

ふむふむ、タッグマッチですが、神取ともやっているのですね。ただ消化不良だったようですが…。

 

ダイナマイト関西とは、納得のいく戦いもできていたようです。確かにアジャと戦うとなると、相手もそれなりの体格でないと務まらないかも(^_^.)

 

あと北斗vs神取戦の舞台裏なども書かれています。

 

全体的にみて、やはりトップのヒールレスラーって、本当に頭がクールですよね。冷静に当時の対抗戦ついて語られています。

 

北斗晶という生き方】

日本一有名な女子プロレスラーとも言える「北斗晶」について、本項ではロッシー小川氏が寄稿しています。

 

小川氏が北斗晶の名付け親だそうです。

 

内容については読んで頂くとして、やはり、あの時代の北斗晶は、異質な輝きを持っていましたね。

 

神取忍の仕事の流儀】

北斗晶の次は、やはり神取忍という事になります。

 

意外だったのは、ブル中野を認めていたこと。

 

あと天龍戦についても語られていますね。

 

豊田真奈美×井上京子

対抗戦時代は、まだ若手といった感じの彼女たちのインタビュー記事です。

 

ただ内容的には、対抗戦というよりも…。

 

工藤めぐみ

続いては、FMWのエースだった工藤めぐみのインタビュー記事です。

 

内容については、生い立ちから、全女時代、プロレスを離れていた時期についても語られていますね。

 

そして対抗戦では、ブル・北斗組やアジャ・コング、また神取忍とも対戦しています。

 

私は個人的にファンでしたね。今でもきれいですね!

 

 

カラーページは、ここまでで、中盤以降は、以下の選手達のインタビューを中心としています。

 

 

シャーク土屋選手は、大変だったんですね。

 

その後は、外人レスラー、そして巻末では、吉田万里子選手のインタビューが掲載されています。

 

女子プロレス絢爛(けんらん)の90年代の総合評価は?】

読んでみた感想としては、やはり女子プロレスの第三次(?)ブームという事になるのかなぁ。

 

あの時代は、男子も含めて、どんどん技が過激になって、深いダメージを負いながらも、彼女たちの青春ですよね。

 

一番熱い時代。

 

それを、50才前後になって、改めて振り返って、良い時代を過ごされたのでしょうね。

 

読み始めたら、サーっと読み終わってしまいました。

 

総合評価は、☆☆☆といったところでしょうか。

 

みなさん、引退後も頑張ってらっしゃるみたいです!

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