プロレスの本棚

40年間、ため込んできたプロレスの本棚の備忘録です。

同級生 魂のプロレス青春録 柴田勝頼・後藤洋央紀、書評。

柴田勝頼

1979年11月17日 三重県桑名市出身

1998年 新日本プロレス入団。

新・闘魂三銃士と呼ばれる。

2005年 新日本プロレスを退団。

以降、フリーとして総合格闘技などの試合を行う。

2012年9月 フリーとして新日本プロレスに参戦。

 

後藤洋央紀

1979年6月25日 三重県桑名市出身

1998年 国士館大学入学、レスリング部で活躍する。

2002年 新日本プロレス入団。

2003年7月 プロレスデビュー。

2008年8月 G1優勝。

 

お二人共、高校時代からアマレスを始めた同級生だそうです。

本著より抜粋

 

 

 

柴田勝頼後藤洋央紀の印象】

柴田選手は、棚橋や中邑と共に新闘魂三銃士と呼ばれていましたよね。

 

ただ本人は気に入らなかったみたいですね。

 

それが原因かどうかは知りませんが、その後新日本プロレスを辞めて、総合の試合に出場していたのを覚えています。

 

総合用にすごく体を絞り込んでいましたよね。

 

ただ勝率が良かったかというと、そうでもなくて結構負けていましたね。

 

桜庭とも戦っていましたが、やっぱり負けて、試合後に桜庭が船木と戦いたいとマイクアピールしていたのを覚えています。

 

ただ、新日本に復帰してからの試合は、私もよく見ていて、新日本のストロングスタイルというのでしょうか、凄みのある試合を行っていました。

 

私、結構ファンです(^-^)

 

後藤のほうは、全然知らなくて、ちょうど柴田が新日本に復帰した頃から、私も再びプロレスを見るようになったのですが、ポジション的には棚橋や中邑より少し下で、でも内藤よりは、少し上の扱いなのかなと思って見ていましたね。

 

牛殺しとか昇天とかの大技もあるのに、なぜかトップには立てない存在というのでしょうか。

 

しかも、そのうちオカダが出てきて、内藤哲也もヒールに転向して成功しているのに、後藤は…、なぜでしょうね。

 

そんな後藤と柴田の共著が出版されていたので、あまり年下の自伝は読まないのですが、今回は読んでみました。

 

 

【同級生 魂のプロレス青春録、書評】

第一章 生い立ち

柴田のほうは、ご存知新日本でレフェリーをやっていた元プロレスラー柴田勝久の息子ですね。

 

その影響からか、幼稚園に上がる頃には、プロレスラーになるのかなと意識し始めていたようです。

 

後藤のほうは、電気工事会社の社長の息子なんですね。活発な少年だったようです。ただトラブルにも巻き込まれやすい性質でもあったようです。

 

第二章 中学時代

中学生になると、後藤はソフトテニス部、柴田はバスケットボール部に入部します。二人共、部活動には真剣に取り組んでいたようですね。

 

ただ勉強のほうは、こちらも二人共、不得意だったようです。というか、後藤は全くしていない(^_^.)

 

後藤のほうは、中学時代からプロレスに興味を持ちだしたようです。長州力のファンだったみたいですね。

  

wrestling-book.hateblo.jp

 

体も鍛えだして、将来はプロレスラーになると決め、高校もレスリング部のある桑名工業高校へ進学します。

 

う~ん、私も鍛えたりしていたなぁ…後藤は、夢をかなえたんですね。

 

ここで生涯の恩師である元日体大レスリング部の橋爪幸彦先生と出会う事になります。

 

第三章 高校時代

柴田のほうも、桑名工業高校に進学します。意外だったのは、柴田のほうは、後藤のようにプロレスラーになりたくて、レスリング部のある高校を選んで入学した訳ではなく、たまたまだったんですね(@_@;)

 

それが偶然レスリング部のある高校に入学して、生涯の恩師と出会い、また後藤とも出会う訳ですから、運命なんですかねぇ。

 

 高校時代は、練習自体は厳しかったようですが、昼休みは食事をしながら、プロレスのビデオを見たり、のびのびと過ごせたようです。

 

親日永田裕志ケンドー・カシンが道場に来た事もあったようです。しかも後藤は、永田を爪でケガさせてしまいます(^_^.)おいおい。

 

 この時に新日本プロレスを生観戦した事で、柴田のほうもプロレスラーになる決心をしています。

 

三年生になると、柴田がキャプテン、後藤が副キャプテンになってますね。柴田は、後に新日本で出会う中邑真輔ともアマレスの試合で戦っているようです。

 

そして、卒業が近付き、二人は別々の道へと旅立っていきます。

 

後藤は国士舘大学、そして柴田は新日本プロレスの入団テストを受け、一足先にプロレスの世界へ。

 

入門テストでは、柴田は棚橋とも出会っていますね。

 

第四章 それぞれの道

柴田は高校卒業と同時に新日本プロレスに入門。同期は井上亘選手と新島選手、やはり相当厳しい練習だったようで、腰を痛めてデビューまでは一年以上かかっています。

 

後藤のほうは、国士館大学へ、こちらも厳しい上下関係の中で精神的にも鍛えられていきます。

 

1999年10月10日、柴田のほうは同期の井上亘戦でデビュー戦ですね。とうとう本物のプロレスラーになってしまいました。ちなみに棚橋も同日デビューです。

 

当時は棚橋とも仲が良かったようです。

 

そして、大学四年の12月、後藤のほうも新日本の入団テストを受けに行きます。結果は一発合格、後藤のほうもすごいですね。

 

後藤が新日本に入門したのは2002年の4月ですね。同期は田口隆裕、そして中邑真輔らがいます。

 

 柴田は、後藤には優しかったみたいですが、他の後輩たちにとっては、怖い先輩だったみたいですよ(^_^.)分かる気がする。

 

そして、後藤はまさかの入門一ヶ月で、クビ宣告!肩を脱臼してしまったそうです。

 

第五章 再会

 後藤がクビになった事を知った柴田は、残留させるように会社に猛烈に抗議しますが、認めてもらえません。しかし、ケガが治った後に再度入門テストを受ける事は認めてもらいます。

 

 ここから柴田は、後藤を自宅に住まわせ、治療に専念させます。食費などの一切も面倒をみたそうです。

 

 ある程度、肩が良くなった後藤は、桑名に戻り、母校の桑名工業高校などで、再度入門テストを受けるための練習を再開します。

 

 11月に再度、入門テストを受け、結果はぶっちぎりの合格!良かったですね!(^^)!

 

 一方、柴田のほうは、藤田やカシンといった先輩たちがPRIDEなどのリングに上がるのを見て、少しづつ総合格闘技のほうに興味が湧いてきたようです。

 

 実際、この頃から打撃の練習も始めているようですね。

 

 後藤のほうも、復帰はしたものの、やはり同期だった中邑が、さーっとトップのほうに行ってしまったので、相当焦りを感じていたようです。中邑はデビューして一年位でIWGPのチャンピオンになってしまいましたからね(^_^.)

 

 2003年からは、柴田は魔界倶楽部に在籍しながら、K-1ルールの試合も行っていきます。2004年には異種格闘技ルールで武蔵とも戦っていますね。

 

 そして2005年の1月をもって、柴田は新日本プロレスを退団していきます。

 

 

第六章 迷走

 新日本を辞めた柴田は、上井氏のビッグマウスラウドに所属しますが、なかなか試合をする機会に恵まれません。

 

 ただ、この当時に元パンクラス船木誠勝と出会い、一緒にトレーニングをする機会に恵まれます。

 

 書籍を読むと、退団した最初の頃は、リキプロに上がったり、NOAHに上がったり、結構プロレスの試合をしているんですね。

 

  結局、ビックマウスラウドは、迷走した挙句、空中分解していきます。また上井氏との関係も終止符が打たれていきます。

 

第七章 荒武者誕生

 後藤のほうは、2006年からアメリカのTNAやメキシコに海外遠征に出ていますね。このメキシコ遠征時代に、オカダと出会っているようです。

 

 メキシコの風土は、後藤に合っていたようですね。髪とひげを伸ばし、袴とレガースを付け、現在の後藤のキャラクターを完成させていきます。

 

 一年後に、ヘビー級の体になって凱旋帰国。残念ながら、袴のコスチュームは長州の一言で取りやめになったみたいですね(^_^.)

 

 それでも天山戦を制し、凱旋帰国のインパクトを残します。なるほど、天山を葬った事で“牛殺し”命名されたんですね。

 

 これを機に、当時IWGPのチャンピオンだった棚橋弘至に初挑戦。翌年の東京ドームでは、グレート・ムタとも対戦しています。

 

 

 第八章 転機

 上井氏のもとを離れた柴田は、本格的に総合格闘技のリングに上がっていきます。初舞台は、2007年3月のHERO'S名古屋大会、対戦相手は元リングスの山本宜久です。

 

 結果は開始9秒でのKO勝ち!

 

 試合に恵まれていませんでしたからね。嬉しかっただろうなぁ(^-^)

 

 しかし、その後は勝利に恵まれず、9月の桜庭和志戦でも敗れ、この試合をきっかけに「船木VS桜庭」戦が実現します。

 

 船木は破れますが、これを機に柴田は、桜庭のもとでも練習するようになります。新日本に復帰した時のパートナーが桜庭だったのは、こういった経緯があったからなんですね。

 

 その後も、総合の試合を続けますが、なかなか勝利に恵まれす、ジレンマを感じていた柴田の名がプロレス界のほうから、クローズアップされます。

 

 その理由は、2008年のG1で後藤が初優勝し、勝利者インタビューで、柴田の名を挙げたからです。

 

 この頃に、柴田と後藤は地元桑名で会い、一緒に練習しているみたいですね。そしてプロレス形式のスパーリングも行い、「いつか二人で、ドームのメインで試合をやろう!」と誓い合います。

 

 そして2009年、これまで行動を共にしてきた船木が全日本プロレスでプロレスラーとして復帰します。一つの別れですね。

 

 その後、柴田は桜庭のジムの所属となり、DREAM12で運命の相手とも言えるケンドー・カシンこと石澤常光に勝利します。

 

  柴田にとっては、高校時代、そして親日時代と、そのあまりの強さを実感していたカシンからの勝利は、とても大きいものだったそうです。

 

 柴田も後藤も一山超えたかに見えましたが、この後も二人共なかなかチャンスを活かしきれない日々が続きます。もうこの頃は、総合格闘技は人気に陰りが出てきていましたね。

 

 そんな折、柴田のほうは、大みそかにDREAMとIGFの合同興行に出場し、桜庭とのタッグで久しぶりにプロレスの試合を行います。

 

 ドロップキックの着地に失敗し、左手首を骨折してしまいますが、この試合を機にプロレスのオファーが来るようになってきます。

 

 一方、後藤のほうは、相変わらずチャンスが掴めず、オカダや内藤など後輩たちからの突き上げを感じていたようです。

 

第九章 青春

「元・新日本プロレス柴田勝頼です。喧嘩、売りに来ました!」この言葉は、私も覚えています。ちょうど、私も再びプロレスを見るようになっていた頃でした(^-^)

 

 桜庭とのコンビで、同期の井上亘選手や真壁とタッグで戦っていましたね。桜庭選手が真壁の事を「でかい!」と言っていたのを覚えていますね。

 

 そして年が明けての2013年から、いよいよ柴田と後藤との闘いが始まっていきます!

 

 何度かタッグマッチで当たった後、初シングルは5月3日の福岡国際センター。ゲストは高校時代の恩師である橋爪幸彦先生です!

 

 結果は両者KO!

 

 続く大阪大会では柴田が勝ち、三度目の秋田大会では、再び両者KO。

 

 その後、後藤が顎をケガして、一旦間が空きますが、4度目の対決は1月4日の東京ドーム。メインではないですが、ついに「後藤VS柴田」のシングルマッチがドームで実現しますね!

 

 結果は、今回は昇天・改で後藤のフォール勝ち。後藤にとっては、柴田戦の初勝利です。

 

 この後は、二人はタッグを組んだり、時にはシングルで戦ったりしながら、現在に至ります。

 

 

【同級生 魂のプロレス青春録を読んでみた感想】

 

 読み始めたら、結構一気に読んでしまいましたね。

 

 ただ、これまでこのブログで書いてきた人達と比べると、まだ現役だからでしょうか、少し物足りなかった気もします(^_^.)

 

 後藤の大学時代やメキシコ遠征時代の話は、もっと聞いてみたかったなぁ。でも柴田との共著なので、柴田のいない時代は、本にしにくいのかもしれませんね。

 

 柴田のフリー時代は、海外遠征の代わりだったのかもしれませんね。この時代に、人間として随分と成長されたように思います。

 

 柴田選手は、現在は欠場中らしいですね。私は1年半遅れで録画した親日を見ているので、原因となったオカダ戦もまだ見ていませんが、復帰してほしいなぁ。

 

 いずれにしても、お二人の更なる成長と成功を祈っています(^-^)

 

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