プロレスの本棚

40年間、ため込んできたプロレスの本棚の備忘録です。

真説・長州力 1951-2015 田崎健太著 書評。

長州力は、最近では、滑舌の悪い男として、テレビで見かける事が多いですね。

 

ひと昔前は、長州小力の「切れていないよ」が話題になりました。

 

橋本真也との「コラコラ問答」とか「長州力の後ろの観客」などで、ネットでも話題になっています。

 

ただ、私達の世代では、やはり長州力は、まぎれもないスターでした。

 

藤波辰爾との名勝負数え歌、天龍源一郎との全日本プロレスでの抗争、アントニオ猪木との世代抗争など、当時熱くなったファンも多かったと思います。

 

今回は、「真説・長州力」を読んでみたいと思います。

 

【目次】

 

 

長州力 プロフィール】

 

1951年12月3日 山口県徳山市(現、周南市出身)

身長180センチ前後 体重120キロ

中学時代は柔道、高校時代はアマレスで活躍。

専修大学時代に韓国代表として、ミュンヘンオリンピックに出場。

1974年 新日本プロレスに入門。

同年8月 プロレスデビュー。

1982年 「噛ませ犬事件」により、藤波辰巳との抗争がスタート。

以降、「名勝負数え歌」と称される。

1984年 ジャパン・プロレスを発足し、全日本プロレスへ移籍。

1987年 新日本プロレスへ復帰、以降現場監督となる。

1998年 一度目の引退。

2002年5月 再び新日本プロレスを退団。

2003年 WJプロレスを旗揚げ。

2004年 新日本プロレスのリングに電撃復帰。翌2005年より現場監督にも復帰する。

2009年 リキプロ閉鎖。

本著より抜粋

 

長州力の思い出】

 

長州力を始めて見たのは、やはり金曜8時の新日本プロレスでした。

 

当時は、トレードマークの長髪ではなくて、おばさんパーマでしたね。タイツも白じゃなかったかな…。すいません、記憶がおぼろげで。

 

後の大ブレイクを考えると、体型もずんぐりむっくりで、足も太くて短いし、当時はまさかトップレスラーになるとは思えませんでした。

 

有名な「かませ犬」発言がありましたが、文字通り外国人レスラーのかませ犬のような存在でした。

 

藤波辰爾との名勝負数え歌時代

そんな長州がブレイクしたキッカケは、やはり藤波辰巳との抗争ですよね。

 

確か、猪木・藤波と組んでブッチャー達との6人タッグだったと思いますが、ゴング前から揉めていて、試合終了後も藤波と長州が張り合っていたのを覚えています。

 

それからWWFインターナショナルのタイトルをかけての戦いが始まりましたね。

 

私個人としては、長州のほうがWWFインターのベルトは似合っているなぁと思っていました。そういえば、あのベルトはあの後どうなったんですかね(?_?)

 

同時に、アニマル浜口マサ斎藤キラー・カーンと維新軍を発足して、タッグもやっていましたね。

 

マサさんは、ごつかったなぁ。あと浜さんとの合体パイルドライバーは、当時としては斬新でしたΣ(・□・;)

 

ジャパンプロレス時代

その後、当時は詳しい事情は知りませんでしたが、ジャパンプロレスを旗揚げして、全日本プロレスへ移籍。

 

全日時代は、天龍源一郎と戦っていたのを覚えています。

 

ジャンボ鶴田ともシングルで一度戦いましたが、体の大きさが違い過ぎていましたね。

 

あとは、あまり覚えていないなぁ…全日本は外人が主体だったから、良い対戦相手に恵まれなかったのかもしれません。

 

確か鶴龍とのタッグマッチで、谷津が天龍をジャーマンでフォールしたのは覚えています。

 

新日本プロレスへ復帰

何となくですが、長州は新日本に戻るんじゃないかなと思っていたら、本当に戻ってきました。

 

ただ藤波との試合は、もう過去ほどの熱狂はなかったように思います。

 

あの時代は、NEWリーダーとNOWリーダーの世代抗争みたいのをやっていましたね。

 

猪木に後ろからのラリアートで勝ったのを覚えています。

 

あの頃の試合で覚えているのは、ベイダーとのIWGP戦かなぁ、確か藤波が長期離脱していた頃で、まだ三銃士だとベイダーの相手はきついなと思っていた頃に、長州がラリアートで勝ったので、お~!と喜んでいました。

 

その後、藤波が復帰して、試合で負けたのに「どうもありがとう、藤波」と言ったのには、何っと思いましたね。

 

もう、あの頃は現場監督としてのマッチメイクのほうが忙しかったんですかね。

 

その後は、G1で連敗して、猪木より先に一度引退したのを覚えています。

 

 

UWFインターナショナルとの抗争

あの頃は、長州はもう復帰していたのでしたっけ?大仁田と試合したのは、この前ですかね?後ですか?

 

どうも記憶があいまいです(-_-;)

 

安生戦の前もタッグでU勢とやっていた印象が残っています。

 

小川と橋本の試合後に、長州がリングに上がってきて「これが、お前のやり方か?」と小川に殴りかかったのは、この後でしょうか。

 

WJプロレス時代

その後、猪木に嫌気がさしたのか、新日本を辞めて、WJを旗揚げ。

 

WJ時代は、テレビでやっていませんでしたから、雑誌でしか知りません。なんかWJで総合の試合をやったけど、健介が骨折したりして散々だったと当時の雑誌で読みました。

 

WJの存亡が危ぶまれる中、橋本のゼロワンの記者会見に乱入したのは覚えています。例の「コラコラ問答」ですね。テレビで見たのでしょうか。

 

新日本に再度復帰

永田裕志に「天下を取り損ねた男」とマイクで言い合って、新日本に復帰したのを覚えていますね。

 

で気付いたら、バラエティ番組で滑舌の悪いプロレスラーとして天龍とよく共演していました(;^ω^)

 

という訳で、長州の時代を再度確認するために、「真説・長州力」を本棚から引っ張り出してきました。

 

 

【真説・長州力 書評】

 

正直。長州の自伝本は、これまでに何冊も出版されていましたから、最初に本屋で見かけた時は、今更なぁと思っていました。ぶ厚かったですしね。

 

ただし、手に取って読みだしたら、面白くてそのまま購入してしまいました。

 

この本は、田崎健太というノンフィクション作家が、長州の周辺を徹底的に取材した上で書かれています。

 

ですから、これまでの長州の口述をまとめただけの本とは、信憑性がまったく違います。

 

プロローグ

プロローグでは、著者と長州との出会いや取材の経緯が紹介されています。

 

読んでいると、長州の声が聞こえてきますね。喋り口もすいぶん穏やかになったなぁと感じます。

 

第一章 もうひとつの苗字

長州の生い立ちから、中学時代、高校時代のエピソードが紹介されています。

 

大体の内容は、他の自伝とも重なりますが、各時代の同級生や高校時代の恩師にまで取材されているのはすごいですね。

 

第二章 ミュンヘンオリンピック韓国代表

やはり専修大学時代、そしてオリンピックの話がメインテーマです。

 

中でも、大学時代一番影響を受けたと思われる先輩とのエピソードが

多く語られています。

 

第三章 プロレスへの戸惑い

新日本プロレス入門への経緯や入門後の事が語られています。

 

この章で一番印象に残ったのは、ちょっと自信過剰なうぬぼれを言ってもいいですか?との後で「スタンドからやっていたら、誰も僕からはテイクダウンを取れなかったでしょうね。」との一言、オリンピック選手ですからね。当然、誰も取れなかったでしょうね。

 

惜しいのは、この時代の選手たちが、長州からスタンドからのタックルなどの技術を学んでおけば良かったのにと思います。そうすれば、後々総合に出る選手たちの技術も違っていたのではないでしょうか。でも後輩ですから、プライドもあったのだろうなぁ(^_^.)

 

 あと、「この力はいつまで出せるだろうか。三十位には出さなくなっているだろうな。」との言葉も印象に残りますね。この力はアマレスに必要な力の事です。競技者としての力ですね。

 

実は私もある武道をやっていたのですが、この力というのは、投げさせまいとする力やグランドで引っ繰り返させまいとする力の事ではないでしょうか。あるいは相手が起き上がろうとする力を押さえつける力とでもいうのでしょうか。言ってみれば、相手の力に抵抗する力の事ですね。

 

プロレスは投げさせて受け身をとってなんぼですからね。やはり葛藤があったのでしょうね。

 

この章では、西ドイツ、アメリカ、カナダと海外遠征時代までが紹介されています。

 

後々維新軍で一緒になる小林邦明やタイガー服部が当時の長州について語っていますね。

 

あと、あまり接点が無いように思われているカール・ゴッチとの逸話についても紹介されています。

 

 

第四章 「長州力」の名付け親

長州力のリングネームは、公募して決まったと思っていたのですが、ある人の一言で決まったようですね。

 

この頃から、長州なりに、どうやったら観客を捕らえられるかを考えていたようです。

 

やはり海外修行に行っていたレスラーは、凱旋時にどれだけのインパクトを残せるかですから、正直言えば、一回目の凱旋では長州はインパクトは残せなかったと思います。

 

この章では、長州から著者に対して、「どうして、僕の事を書こうと思ったんですか?」と逆に質問をしていますね。

 

また、後のライバルとなる藤波辰爾についても多く紹介されています。

 

第五章 メキシコに逃げる。

この章の序盤は、虎の仮面をかぶったある天才レスラーについてが紹介されています。

 

wrestling-book.hateblo.jp

 

後半は長州のメキシコ時代が語られています。メキシコに行った理由は、以外な理由でした。

 

第六章 噛ませ犬事件の謎

この章では、長州のブレイクのきっかけとなった「噛ませ犬事件」について、長州本人も含めて、様々な関係者に取材し、噛ませ犬事件の謎を紐解いていきます。

 

後半では、私の好きなマサ斎藤やベストパートナーだったアニマル浜口とのエピソードが語られています。

 

長州は、アメリカで活躍するマサさんに憧れていたようですね。

 

第七章 タイガーマスク引退とクーデター

アントンハイセルを発端とした親日本プロレス内部でのクーデター事件の詳細が述べられています。

 

第八章 ジャパンプロレスの野望

ジャパンプロレスの前身である新日本プロレス興行の発足についてが語られています。

 

前半部分では、維新軍の一員だった後輩の谷津嘉章が長州について語っていますね。色々な感情があるのだろうなぁ。

 

第九章 長州を恨む男

この章では、ジャパンプロを離脱し、新日本プロレス復帰への経緯が述べられています。

 

長州はPWFのチャンピオンだったんですね。全然PWFのベルトを巻いていた印象がない(+_+)

 

タイトルの長州を恨んでいた男は、この人です↓

 

wrestling-book.hateblo.jp

第十章 現場監督の秘密

新日本へ復帰して、しばらく経った頃に起きた前田日明による顔面蹴撃事件が語られてますね。

 

前田との試合は、個人的には、もっと見たかったなぁ。

 

後に前田日明とは、雑誌やDVDで対談していますが、この二人、和解して良かったですね(^-^)

 

その後、坂口征ニが新日本プロレスの社長になったのを機に、長州は現場監督となります。

 

以外だったのは、この時代に越中詩郎が長州の右腕だった事ですね。

 

越中は、平成維震軍でしたから、私もこの二人の関係は全く知りませんでした。

第十一章 消されたUWF

 現場監督時代の長州の頂点とも言えるUWFインターとの全面対抗戦について、当時UWFインター側だった宮戸優光氏の証言も多く交えて解説されています。

第十二章 アントニオ猪木大仁田厚

長州の引退は、1998年でしたか。Uインターとの抗争時は、まだ現役だったんですね。

 

この章では、1999年に東京ドームで行われた長州のブッキングによる大仁田が初めて親日本に上がった試合と、猪木が仕組んだ橋本VS小川のセメントマッチの舞台裏が紹介されていますね。

 

大仁田はインタビューでも存在感があるなぁ。猪木が大仁田を新日本に上げるのを極度に警戒していたのが分かる気がします。

 

結局、一年半がかりで引退していた長州との試合も実現させてしまいましたからね。

 

そして2002年の5月に長州は、再び新日本プロレスを退団していきます。

 

第十三章 WJプロレスの躓き(つまづき)

現在、新日本プロレスで活躍している石井選手や当時練習生だった和田選手、そして第八章にも登場した谷津嘉章らによって、旗揚げからのWJ内部の様子が語られています。

 

私個人は、WJは全く見た事がないのですか、こうして読んでみると、やはり潰れるべくして潰れたのかもしれませんね。

 

何でもそうですが、人間って一度地位や権力を得てしまうと、それが当たり前になってしまうと思うのですよ。

 

でも、その権力は、組織やその組織をバックアップしてくれる存在があってこそですよね。

 

新日本プロレス時代は、やはり業界最大手の知名度もありましたし、宣伝しなくても毎週テレビ 放送があった。

 

潤沢な資金もあったでしょうし、何よりも地道な裏方としての営業の力があった。

 

そういったものが揃っていたからこそ、大きな発言もできたし、企画も通せた。

 

でも人間って気付くのは、失敗してからなんですよねぇ(〃´ω`〃)

 

 

第十四章 どん底

ゼロワンでの橋本とのコラコラ問答の経緯が紹介されています。また永島勝司氏への取材の模様も紹介されています。

 

あとは、この章は読むのがつらいですね。破滅への道ですからね。マサさんとの縁も切れてしまったようです(T_T)

 

第十五章 再び、「ど真ん中に」

WJは崩壊し、「リキプロ」として大幅に規模を縮小して活動していた長州の基に、新日本からのオファーが来ます。

 

俺はいま、新日本のど真ん中に立っているんだぞ!」のセリフは、今でも覚えています。インパクトがありましたからね。まさか、長州が…と思っていましたから。

 

永田の事を「天下を取り損ねた男。」と表現したのも面白かったなぁ。やはり一流レスラーはいう事が違うんですよね。

 

あれだけで、観客の心を捕らえてしまうんですよ。

 

ただ、この後の長州の試合は印象無いなぁ。途中から、現場監督に復帰した事は覚えています。

 

確か前田日明との対談で、前田が今の選手達を批判していたのを、逆にかばっていました。

 

長州、変わったなぁと思っていました。

 

2009年にリキプロの道場も閉鎖。

 

この章の最後は、「長州力を一番よく知る男」として、保永昇男が紹介されています。

 

かつてはライガーIWGPジュニアのベルトを争っていた保永昇男。久々のこの男の名前を聞きました。

 

保永は、新日本退団後、石井と共に最後までリキプロに残ったんですね。

 

「どうして、最後までリキプロに残ったのですか?」との問いに対して、

 

「だって、行く所がなかったんだもの」との答えが保永さんの人間性を表していますね。

 

エピローグ 赤いパスポート

今回、取材を行えなかった選手が三名いたそうですが、その中の一人がアントニオ猪木だそうです。

 

長州の猪木評が述べられていますが、長州にとっては、良くも悪くも、やはり猪木の存在は大きいのでしょうね。

 

他の二人についても話したいところですが、後は本著をお読み下さい(^_^.)

 

 

【真説·長州力の総合評価は?】

今回の記事を書くにあたり、改めて読んでみましたが、やはりこれだけ徹底的に周辺を調査した書籍は、なかなかないでしょうね。

 

プロレス業界とは関係のない作家が書いたというのもありますし、ノンフィクション作家としての著者自身の意地も感じました。

 

長州も最終的には、観念した感じでしょうね。本来はこれ以上は言えないといった部分にまで踏み込んでいるような気がします。

 

「真説・長州力」の総合評価は、☆4.5です。私個人としては、かなりオススメです!

 

 

 

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