プロレスの本棚

40年間、ため込んできたプロレスの本棚の備忘録です。

真説・長州力 1951-2015 田崎健太著 書評。

長州力は、最近では、滑舌の悪い男として、テレビで見かける事が多いですね。

 

ひと昔前は、長州小力の「切れていないよ」が話題になりました。

 

橋本真也との「コラコラ問答」とか「長州力の後ろの観客」などで、ネットでも話題になっています。

 

ただ、私達の世代では、やはり長州力は、まぎれもないスターでした。

 

藤波辰爾との名勝負数え歌、天龍源一郎との全日本プロレスでの抗争、アントニオ猪木との世代抗争など、当時熱くなったファンも多かったと思います。

 

今回は、「真説・長州力」を読んでみたいと思います。

 

【目次】

 

 

長州力 プロフィール】

 

1951年12月3日 山口県徳山市(現、周南市出身)

身長180センチ前後 体重120キロ

中学時代は柔道、高校時代はアマレスで活躍。

専修大学時代に韓国代表として、ミュンヘンオリンピックに出場。

1974年 新日本プロレスに入門。

同年8月 プロレスデビュー。

1982年 「噛ませ犬事件」により、藤波辰巳との抗争がスタート。

以降、「名勝負数え歌」と称される。

1984年 ジャパン・プロレスを発足し、全日本プロレスへ移籍。

1987年 新日本プロレスへ復帰、以降現場監督となる。

1998年 一度目の引退。

2002年5月 再び新日本プロレスを退団。

2003年 WJプロレスを旗揚げ。

2004年 新日本プロレスのリングに電撃復帰。翌2005年より現場監督にも復帰する。

2009年 リキプロ閉鎖。

本著より抜粋

 

長州力の思い出】

 

長州力を始めて見たのは、やはり金曜8時の新日本プロレスでした。

 

当時は、トレードマークの長髪ではなくて、おばさんパーマでしたね。タイツも白じゃなかったかな…。すいません、記憶がおぼろげで。

 

後の大ブレイクを考えると、体型もずんぐりむっくりで、足も太くて短いし、当時はまさかトップレスラーになるとは思えませんでした。

 

有名な「かませ犬」発言がありましたが、文字通り外国人レスラーのかませ犬のような存在でした。

 

藤波辰爾との名勝負数え歌時代

そんな長州がブレイクしたキッカケは、やはり藤波辰巳との抗争ですよね。

 

確か、猪木・藤波と組んでブッチャー達との6人タッグだったと思いますが、ゴング前から揉めていて、試合終了後も藤波と長州が張り合っていたのを覚えています。

 

それからWWFインターナショナルのタイトルをかけての戦いが始まりましたね。

 

私個人としては、長州のほうがWWFインターのベルトは似合っているなぁと思っていました。そういえば、あのベルトはあの後どうなったんですかね(?_?)

 

同時に、アニマル浜口マサ斎藤キラー・カーンと維新軍を発足して、タッグもやっていましたね。

 

マサさんは、ごつかったなぁ。あと浜さんとの合体パイルドライバーは、当時としては斬新でしたΣ(・□・;)

 

ジャパンプロレス時代

その後、当時は詳しい事情は知りませんでしたが、ジャパンプロレスを旗揚げして、全日本プロレスへ移籍。

 

全日時代は、天龍源一郎と戦っていたのを覚えています。

 

ジャンボ鶴田ともシングルで一度戦いましたが、体の大きさが違い過ぎていましたね。

 

あとは、あまり覚えていないなぁ…全日本は外人が主体だったから、良い対戦相手に恵まれなかったのかもしれません。

 

確か鶴龍とのタッグマッチで、谷津が天龍をジャーマンでフォールしたのは覚えています。

 

新日本プロレスへ復帰

何となくですが、長州は新日本に戻るんじゃないかなと思っていたら、本当に戻ってきました。

 

ただ藤波との試合は、もう過去ほどの熱狂はなかったように思います。

 

あの時代は、NEWリーダーとNOWリーダーの世代抗争みたいのをやっていましたね。

 

猪木に後ろからのラリアートで勝ったのを覚えています。

 

あの頃の試合で覚えているのは、ベイダーとのIWGP戦かなぁ、確か藤波が長期離脱していた頃で、まだ三銃士だとベイダーの相手はきついなと思っていた頃に、長州がラリアートで勝ったので、お~!と喜んでいました。

 

その後、藤波が復帰して、試合で負けたのに「どうもありがとう、藤波」と言ったのには、何っと思いましたね。

 

もう、あの頃は現場監督としてのマッチメイクのほうが忙しかったんですかね。

 

その後は、G1で連敗して、猪木より先に一度引退したのを覚えています。

 

 

UWFインターナショナルとの抗争

あの頃は、長州はもう復帰していたのでしたっけ?大仁田と試合したのは、この前ですかね?後ですか?

 

どうも記憶があいまいです(-_-;)

 

安生戦の前もタッグでU勢とやっていた印象が残っています。

 

小川と橋本の試合後に、長州がリングに上がってきて「これが、お前のやり方か?」と小川に殴りかかったのは、この後でしょうか。

 

WJプロレス時代

その後、猪木に嫌気がさしたのか、新日本を辞めて、WJを旗揚げ。

 

WJ時代は、テレビでやっていませんでしたから、雑誌でしか知りません。なんかWJで総合の試合をやったけど、健介が骨折したりして散々だったと当時の雑誌で読みました。

 

WJの存亡が危ぶまれる中、橋本のゼロワンの記者会見に乱入したのは覚えています。例の「コラコラ問答」ですね。テレビで見たのでしょうか。

 

新日本に再度復帰

永田裕志に「天下を取り損ねた男」とマイクで言い合って、新日本に復帰したのを覚えていますね。

 

で気付いたら、バラエティ番組で滑舌の悪いプロレスラーとして天龍とよく共演していました(;^ω^)

 

という訳で、長州の時代を再度確認するために、「真説・長州力」を本棚から引っ張り出してきました。

 

 

【真説・長州力 書評】

 

正直。長州の自伝本は、これまでに何冊も出版されていましたから、最初に本屋で見かけた時は、今更なぁと思っていました。ぶ厚かったですしね。

 

ただし、手に取って読みだしたら、面白くてそのまま購入してしまいました。

 

この本は、田崎健太というノンフィクション作家が、長州の周辺を徹底的に取材した上で書かれています。

 

ですから、これまでの長州の口述をまとめただけの本とは、信憑性がまったく違います。

 

プロローグ

プロローグでは、著者と長州との出会いや取材の経緯が紹介されています。

 

読んでいると、長州の声が聞こえてきますね。喋り口もすいぶん穏やかになったなぁと感じます。

 

第一章 もうひとつの苗字

長州の生い立ちから、中学時代、高校時代のエピソードが紹介されています。

 

大体の内容は、他の自伝とも重なりますが、各時代の同級生や高校時代の恩師にまで取材されているのはすごいですね。

 

第二章 ミュンヘンオリンピック韓国代表

やはり専修大学時代、そしてオリンピックの話がメインテーマです。

 

中でも、大学時代一番影響を受けたと思われる先輩とのエピソードが

多く語られています。

 

第三章 プロレスへの戸惑い

新日本プロレス入門への経緯や入門後の事が語られています。

 

この章で一番印象に残ったのは、ちょっと自信過剰なうぬぼれを言ってもいいですか?との後で「スタンドからやっていたら、誰も僕からはテイクダウンを取れなかったでしょうね。」との一言、オリンピック選手ですからね。当然、誰も取れなかったでしょうね。

 

惜しいのは、この時代の選手たちが、長州からスタンドからのタックルなどの技術を学んでおけば良かったのにと思います。そうすれば、後々総合に出る選手たちの技術も違っていたのではないでしょうか。でも後輩ですから、プライドもあったのだろうなぁ(^_^.)

 

 あと、「この力はいつまで出せるだろうか。三十位には出さなくなっているだろうな。」との言葉も印象に残りますね。この力はアマレスに必要な力の事です。競技者としての力ですね。

 

実は私もある武道をやっていたのですが、この力というのは、投げさせまいとする力やグランドで引っ繰り返させまいとする力の事ではないでしょうか。あるいは相手が起き上がろうとする力を押さえつける力とでもいうのでしょうか。言ってみれば、相手の力に抵抗する力の事ですね。

 

プロレスは投げさせて受け身をとってなんぼですからね。やはり葛藤があったのでしょうね。

 

この章では、西ドイツ、アメリカ、カナダと海外遠征時代までが紹介されています。

 

後々維新軍で一緒になる小林邦明やタイガー服部が当時の長州について語っていますね。

 

あと、あまり接点が無いように思われているカール・ゴッチとの逸話についても紹介されています。

 

 

第四章 「長州力」の名付け親

長州力のリングネームは、公募して決まったと思っていたのですが、ある人の一言で決まったようですね。

 

この頃から、長州なりに、どうやったら観客を捕らえられるかを考えていたようです。

 

やはり海外修行に行っていたレスラーは、凱旋時にどれだけのインパクトを残せるかですから、正直言えば、一回目の凱旋では長州はインパクトは残せなかったと思います。

 

この章では、長州から著者に対して、「どうして、僕の事を書こうと思ったんですか?」と逆に質問をしていますね。

 

また、後のライバルとなる藤波辰爾についても多く紹介されています。

 

第五章 メキシコに逃げる。

この章の序盤は、虎の仮面をかぶったある天才レスラーについてが紹介されています。

 

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後半は長州のメキシコ時代が語られています。メキシコに行った理由は、以外な理由でした。

 

第六章 噛ませ犬事件の謎

この章では、長州のブレイクのきっかけとなった「噛ませ犬事件」について、長州本人も含めて、様々な関係者に取材し、噛ませ犬事件の謎を紐解いていきます。

 

後半では、私の好きなマサ斎藤やベストパートナーだったアニマル浜口とのエピソードが語られています。

 

長州は、アメリカで活躍するマサさんに憧れていたようですね。

 

第七章 タイガーマスク引退とクーデター

アントンハイセルを発端とした親日本プロレス内部でのクーデター事件の詳細が述べられています。

 

第八章 ジャパンプロレスの野望

ジャパンプロレスの前身である新日本プロレス興行の発足についてが語られています。

 

前半部分では、維新軍の一員だった後輩の谷津嘉章が長州について語っていますね。色々な感情があるのだろうなぁ。

 

第九章 長州を恨む男

この章では、ジャパンプロを離脱し、新日本プロレス復帰への経緯が述べられています。

 

長州はPWFのチャンピオンだったんですね。全然PWFのベルトを巻いていた印象がない(+_+)

 

タイトルの長州を恨んでいた男は、この人です↓

 

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第十章 現場監督の秘密

新日本へ復帰して、しばらく経った頃に起きた前田日明による顔面蹴撃事件が語られてますね。

 

前田との試合は、個人的には、もっと見たかったなぁ。

 

後に前田日明とは、雑誌やDVDで対談していますが、この二人、和解して良かったですね(^-^)

 

その後、坂口征ニが新日本プロレスの社長になったのを機に、長州は現場監督となります。

 

以外だったのは、この時代に越中詩郎が長州の右腕だった事ですね。

 

越中は、平成維震軍でしたから、私もこの二人の関係は全く知りませんでした。

第十一章 消されたUWF

 現場監督時代の長州の頂点とも言えるUWFインターとの全面対抗戦について、当時UWFインター側だった宮戸優光氏の証言も多く交えて解説されています。

第十二章 アントニオ猪木大仁田厚

長州の引退は、1998年でしたか。Uインターとの抗争時は、まだ現役だったんですね。

 

この章では、1999年に東京ドームで行われた長州のブッキングによる大仁田が初めて親日本に上がった試合と、猪木が仕組んだ橋本VS小川のセメントマッチの舞台裏が紹介されていますね。

 

大仁田はインタビューでも存在感があるなぁ。猪木が大仁田を新日本に上げるのを極度に警戒していたのが分かる気がします。

 

結局、一年半がかりで引退していた長州との試合も実現させてしまいましたからね。

 

そして2002年の5月に長州は、再び新日本プロレスを退団していきます。

 

第十三章 WJプロレスの躓き(つまづき)

現在、新日本プロレスで活躍している石井選手や当時練習生だった和田選手、そして第八章にも登場した谷津嘉章らによって、旗揚げからのWJ内部の様子が語られています。

 

私個人は、WJは全く見た事がないのですか、こうして読んでみると、やはり潰れるべくして潰れたのかもしれませんね。

 

何でもそうですが、人間って一度地位や権力を得てしまうと、それが当たり前になってしまうと思うのですよ。

 

でも、その権力は、組織やその組織をバックアップしてくれる存在があってこそですよね。

 

新日本プロレス時代は、やはり業界最大手の知名度もありましたし、宣伝しなくても毎週テレビ 放送があった。

 

潤沢な資金もあったでしょうし、何よりも地道な裏方としての営業の力があった。

 

そういったものが揃っていたからこそ、大きな発言もできたし、企画も通せた。

 

でも人間って気付くのは、失敗してからなんですよねぇ(〃´ω`〃)

 

 

第十四章 どん底

ゼロワンでの橋本とのコラコラ問答の経緯が紹介されています。また永島勝司氏への取材の模様も紹介されています。

 

あとは、この章は読むのがつらいですね。破滅への道ですからね。マサさんとの縁も切れてしまったようです(T_T)

 

第十五章 再び、「ど真ん中に」

WJは崩壊し、「リキプロ」として大幅に規模を縮小して活動していた長州の基に、新日本からのオファーが来ます。

 

俺はいま、新日本のど真ん中に立っているんだぞ!」のセリフは、今でも覚えています。インパクトがありましたからね。まさか、長州が…と思っていましたから。

 

永田の事を「天下を取り損ねた男。」と表現したのも面白かったなぁ。やはり一流レスラーはいう事が違うんですよね。

 

あれだけで、観客の心を捕らえてしまうんですよ。

 

ただ、この後の長州の試合は印象無いなぁ。途中から、現場監督に復帰した事は覚えています。

 

確か前田日明との対談で、前田が今の選手達を批判していたのを、逆にかばっていました。

 

長州、変わったなぁと思っていました。

 

2009年にリキプロの道場も閉鎖。

 

この章の最後は、「長州力を一番よく知る男」として、保永昇男が紹介されています。

 

かつてはライガーIWGPジュニアのベルトを争っていた保永昇男。久々のこの男の名前を聞きました。

 

保永は、新日本退団後、石井と共に最後までリキプロに残ったんですね。

 

「どうして、最後までリキプロに残ったのですか?」との問いに対して、

 

「だって、行く所がなかったんだもの」との答えが保永さんの人間性を表していますね。

 

エピローグ 赤いパスポート

今回、取材を行えなかった選手が三名いたそうですが、その中の一人がアントニオ猪木だそうです。

 

長州の猪木評が述べられていますが、長州にとっては、良くも悪くも、やはり猪木の存在は大きいのでしょうね。

 

他の二人についても話したいところですが、後は本著をお読み下さい(^_^.)

 

 

【真説·長州力の総合評価は?】

今回の記事を書くにあたり、改めて読んでみましたが、やはりこれだけ徹底的に周辺を調査した書籍は、なかなかないでしょうね。

 

プロレス業界とは関係のない作家が書いたというのもありますし、ノンフィクション作家としての著者自身の意地も感じました。

 

長州も最終的には、観念した感じでしょうね。本来はこれ以上は言えないといった部分にまで踏み込んでいるような気がします。

 

「真説・長州力」の総合評価は、☆4.5です。私個人としては、かなりオススメです!

 

 

 

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ケンドー・ナガサキ自伝 桜田一男 書評レビュー。

剣道の面

ずいぶんと発売が延期されていましたが、ようやくケンドー・ナガサキの自伝が発売されましたね。

 

私は、アメリカで活躍した悪役日本人レスラーの生き様って好きなんですよ。

 

日本での格は関係なく、本当に裸一貫でアメリカで仕事をしていく、そういう生き方に憧れた事もありました。

 

グレート・カブキ、マサ斎藤キラー・カーン達に次ぐ、トップヒールだった「ケンドー・ナガサキ」のプロレス人生を知りたくて、本書を手に取る事にしました。

 

【目次】

 

 

ケンドー・ナガサキのプロフィール】

 

本名 桜田一男

1948年9月26日 北海道網走市出身

188センチ、120キロ

中学卒業後、大相撲の立浪部屋に入門。

1971年 日本プロレスへ入門。同年6月デビュー。

日本プロレス崩壊後は、全日本プロレスに合流。

1976年 海外遠征へ。

1981年 ケンドー・ナガサキに変身。

1990年 SWSの旗揚げに参画。

SWS崩壊後は、NOW、大日本プロレスへ。

本書より抜粋

  

ケンドー・ナガサキの印象】

 

ケンドー・ナガサキを初めて知ったのは、小学生の頃、当時月刊誌だったプロレス雑誌でした。

 

確か海外で活躍している日本人レスラーを特集しているページだったと思います。

 

顔はペイントをしていて、目がギョロっとして、頭は剥げてるし、カブキのように毒霧を吐くのでしょうか、口の中が緑色だったのを覚えていますね。(実際は、剥げている訳ではなくて、剃っているのを後から知りました)

 

結構、写真のインパクトは強くて、これは悪い奴なのだろうなぁと思っていました。

 

後は、子供の頃に連載していたプロレス・スターウォーズでカブキのタッグパートナーでしたね。

 

新日本プロレス時代のケンドーナガサキ

 

実際に実物を見たのは、新日本プロレスに「ランボー・サクラダ」のリングネームで来日した時でした。(なぜかサクラダがケンドー・ナガサキだとは知っていましたね。なぜだろう(?_?))

 

印象は、地味~でしたね。

 

当時の親日にはブロディがいましたが、ホーガンはもうほとんど来日していなくて、猪木以外はブロディの相手になるような選手がいないので、ブロディとマードックが戦ったりしていました。

 

おそらく、このサクラダもブロディの相手役として、日本に呼ばれたのだろうなぁと子供ながらに思っていました。実際、ブロディに力負けしていなかったのは覚えていますね。

 

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その後は、ケンドー・ナガサキの姿で、ペイントをして、ミスター・ポーゴとタッグを組んでいましたね。

 

ただ正直言うと、やはり印象は薄いです。

 

本来がヒールレスラーですから、日本ではあまり悪い事もできないし、本人も消化不良だったんじゃないでしょうかね。

 

SWS時代以降のケンドー・ナガサキ

 

その後は、SWSの「道場・激」に所属して、あの頃からスキンヘッドでしたっけ?

 

SWSの崩壊後は、大日本プロレスで、総合の試合に出て、ノックアウトされたのを覚えていますね。

 

ここまでの内容だと、単に日本ではパッとしなかった中堅レスラーなのですが、後に海外ではトップとして成功していたと知りました。

 

私、海外で活躍していた日本人の悪役レスラーって大好きなのですよ。マサ斎藤さんとかグレート・カブキとかですね。

 

あと、まだWWFが全米制覇をする前の時代。まだ各地に独立したテリトリーがあって、そのテリトリーを渡り歩きながら、レスラー達が活躍していた時代が好きです。

 

その両方を味わえるのではないかと、本書は新刊で買いました。その内容は、どうだったでしょう?ドキドキ

 

 

ケンドー・ナガサキ自伝 書評】

 

まえがきでは、しょっぱなからケンドー・ナガサキ誕生の逸話について書かれています。

 

なるほど、この人からの提案だったのですね(*'ω'*)

 

あのスタイルは、自分からはやらないよなぁ…だって、はげ武者だもん(^_^.)

 

本編(桜田一男の生い立ちから、日本プロレス時代)

 

第一章では生い立ちから、大相撲時代。第二章では日本プロレスでの修業時代が書かれていますね。日プロ時代の話は、ほぼ同期だった藤波選手やキラー・カーンの自伝とも重なりますね。

 

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特にプロレスの基本、技の流れについて、理論的に説明されていますね。確かに言われてみると、組み合う時も反対だったらケガをするでしょうね。

 

第三章では、ケンドーナガサキの立場から見た日本プロレスの崩壊が書かれています。著者の場合は、猪木派でもなく、馬場派でもない、言ってみれば日プロ派としての立場ですね。

 

第四章は、日本プロレスが崩壊し、事実上全日本プロレスに吸収された頃の話です。

 

正直、良い扱いはされなかったでしょうが、桜田の場合は少しずつ外人レスラーと試合が組まれたり、短期的な海外遠征を経験したりして、地道に地力を付けていった感じでしょうか。

 

あと大仁田や渕など後輩レスラー達が入門してきた事についても書かれています。

 

桜田一男、海外遠征へ

 

第五章では、相撲時代に、ほぼ同期だった天龍源一郎全日本プロレスに入団し、天龍の髷(まげ)を結う役目としてアメリカに旅立ちます。

 

このあたりの経緯は、天龍の自伝でも書かれていますが、サクラダの場合は、海外修行へ出発したというよりも、天龍のお世話係としてですから、どういう立場だったかが分かりますよね。

 

それでも腐らずに、このチャンスをものしていくのですね。個人的にはワクワクしてきました!(^^)!

 

第六章では、トップレスラーへの階段を上っていく上で、実質的な師匠にあたるレスラーとの出会いが書かれていますね。

 

どの業界でもそうですが、こういう先達との出会いやチャンスをものにできるかで、その後の人生が決まっていくのでしょうね。

 

第七章では、カナダのカルガリー時代の事が書かれています。ミスター・ヒトと行動を共にしていたようですね。

 

おぉ、カルガリーでは、ついにNWAのタイトルに挑戦しているではありませんか!

 

当時のNWAタイトルは、最高の権威でしたから、感慨無量だっただろうなぁ。おそらく、あのまま全日本にいたら、一生挑戦させてもらえなかったでしょうね。

 

第八章では、全日ではなく、なぜか国際プロレスに凱旋し、「日本リーグ争覇戦」に出場した事が書かれています。

 

第九章では、フロリダ、ダラスと転戦した模様と、当時のアメリカのレスラーに蔓延していたあるものについてが書かれていますね。

 

第十章では、全日本プロレスに凱旋した時の事が書かれています。やはり、あまり日本マットは合わなかったのでしょうね。

 

アメリカに帰国後は、ダラスでカブキのパートナーになっていますね。このマスクマンは、何か見た事があるなぁ。

 

 

 ケンドー・ナガサキに変身

 

第十一章では、いよいよケンドー・ナガサキが登場します。ダスティ・ローデスとの抗争など、これまで以上にトップヒールとしての階段を昇っていく訳ですが、やはりあの髪型は、最初は恥ずかしかったようですね。

 

そんな折り、なぜか全日本プロレスからマスクマンとして、帰国するよう指令がきます。この扱いが後々の決断に関わってくるようです。

 

そうかぁ、あのマスクマンの正体は、ケンドー・ナガサキだったんですね。

 

第十二章では、プエルトリコを手始めに、この頃は全米各地を短期的に転戦していたようですね。それだけケンドー・ナガサキの需要があったのでしょう。

 

そして、この章の後半では、新日本に移籍した経緯について述べられています。

 

 信用とか信頼っていうのは、それまでどう扱われてきたかで決まりますからね。良い扱いを受けていない時に、本当に自分を必要とする人物が現れたら、こういう決断に至るのも分かる気がします。

 

ランボー・サクラダとして、新日本プロレス

 

第十三章では、「ランボー・サクラダ」として親日本プロレスに来日。本人曰く、やはりランボーのキャラは失敗だったようですね。

 

そしてポーゴとのタッグでタッグリーグ戦に出場。前述したように、この頃の事は、私も覚えています。ブロディは、このタッグリーグ戦を途中でボイコットしてしまいます。

 

この章の後半では、サクラダから見た新日本並びに猪木に対しての評価が述べられています。

 

第十四章では、新日本のホープだった武藤と共に暮らしていた頃のエピソードや女性のこと…。

 

新日本でのUWF勢との対戦なども述べられています。

 

第十五章では、プエルトリコでのブロディの事件の事が詳しく書かれています。ナガサキは、あの日、あの会場にいたんですね。

 

wrestling-book.hateblo.jp

 

あとタッグパートナーだったポーゴについても書かれていますが、この二人本当に仲が悪いみたいですね。確かポーゴの自伝にも書かれていたような気がしますが…。

SWS時代のケンドーナガサキ

 

第十六章では、SWS の設立当初の事が書かれていますね。ナガサキもふとした事をきっかけにSWSの設立に関わっていきます。

 

第十七章では、SWSが崩壊に向かう模様が書かれています。

 

ただナガサキの場合は、SWS時代も度々海外で試合を行っていたようですから、マッチメイカーだったカブキさんほどは嫌な思いはしていないかも…。

 

SWSに関しては、様々な意見がありますが、私個人はやはりお金があり過ぎたのが問題だったと思います。

 

ナガサキやカブキのように海外で成功したレスラー達は、ブッカーやプロモーターからの無理な提案や指令に従いながらも、本人自身の工夫や努力で金を稼げるレスラーになっていくのだと思いますが、SWSの場合はそういった経緯がなくとも金を稼げてしまった。

 

言い換えれば、そういった努力を欠いたレスラー達に、実力以上のギャラを与えてしまった事が一番の問題だったと思います。

 

本来は、トップの選手が客を呼んでくれるからこそ、他のレスラーもその恩恵を得る事ができる訳で、必然的に上下関係が築かれていく訳ですが、そうでなくても十分な給料をもらえる訳ですから、勘違いしてしまう人間も多かったのでしょうね。

 

NOW、大日本プロレス時代

 

第十八章では、NOW時代、そして大日本プロレス時代の事が書かれています。

 

NOW時代は、悲しい出来事があったみたいですね(-_-;)

 

第十九章では、47才で挑戦したバーリ・トゥード(総合格闘技)の事が書かれていますが、小鹿さんの都合で、この路線は途中で断念したようですね。

 

この章の後半では、新日本プロレスとの対抗戦についても触れています。そういえば、新日本とやってましたねぇ。

 

あとがきでは、これまでの人生を振り返っていますね。プロレスは「最高の仕事」だったと締めています。

 

 

ケンドー・ナガサキ自伝の総合評価は?】

 

発売日が延々と延期されて、本当に発売されるのだろうかと思っていたら、ようやく発売されましたね。

 

私個人としては、面白かったです。一気に読んでしまいました。

 

ただ欲をいえば、やはりケンドー・ナガサキ時代の写真をもっと載せてほしかったなぁ。

 

それでも、全19章、255ページで読み応えはありましたよ。

 

 総合評価は、☆☆☆3.5といったところでしょうか。

 

今後も良い人生を送って頂きたいと思います。

 

 

 

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